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親孝行と、子孝行。。。



小さいころから、なんとなく、自分は日本に一生住まないだろうな。。とはおもっていた。

父の会社の社宅にすんでいたんだけど、会社の研究所の社宅だったため、まわりは、高学歴の技術者や、研究員がおおく、そのこどもたちも、みんなあたまがよく、地区の一番いい学校にかよっていたりした。
海外に、派遣されて、帰ってきた人たち、これからいくことになるひとたち、、、と、小さな社会だったけど、そういうのが、あたりまえで、自分も普通にそうなるんだっておもっていた。

こうかくと、なんだか、自慢っぽいし、すごい、いい家柄で、エリートの娘だったのね。。とおもわれるかもしれないが、ぜんぜん、そんなんじゃない。

父は、建築家だった祖父(わたしの)がはやくなくなったため、戦後まもなくの、北海道のいなかで、相当苦労したらしい。
高校は、伯父の家に、その家の子供たちの家庭教師としてあずけられ、勉強して、第一志望の大学にはいったあかつきには、伯父がたてかえてくれるというので、勉強して受かり、伯父に報告しにいけば、「そんな金はだせん」といわれ、(伯父は開業医で金持ちだった)泣く泣く、東京に中学生だった、妹(わたしの伯母)とで、二人分の生活費をかせぎながら、こつこつ勉強して、当時、父のしたかった専門では一番安かった学費の大学に翌年はいったのだ。

修士課程をおえ、博士号をとるために、大学に残り、教授の助手をしていたときに、母にあって、結婚した。

結婚して、最初の子供(わたし)ができたのがわかったとき、周囲の反対をおしきって、大学をやめ、給料のいい、大企業(?)に転職した。

自分がお金で苦労して、行きたかった大学にもいけず、やりたいことができなかったから、自分のこどもにはそんなおもいはさせたくない。とおもったそうだ。

その大企業では、またまた、苦労の連続だったらしい。なぜなら、学歴社会で、いくら能力があっても、だいたい、3大学(想像してください)出のひとではなければ、スタートの段階で、差があるらしい。
そして、父は、その、3大学にうかっていたにもかかわらず、学費がだせなくて浪人し、違う大学に入っていた、という経歴があったため、相当、悔しい思いをしたと思う。

だんだん、最初の文からそれてきてしまった。。。

まあ、そういうわけで、周りはエリートだったのかもしれないけど、うちはぜんぜンそンなこともなかったし、それに、あの時代って、父みたいな人がおおかったのかもしれないけど、とにかく、あの社宅には、世間では、エリートとといわれるようなことが、普通におこなわれていたので、わたしも、海外にいくことは、普通におもっていたのだ。

おかげさまで、わたしは、自分の人生を、紆余曲折はもちろんあるけど、謳歌させていただいている。
そして、縁あって、ウェールズに住むことになって、はや9年。。

英国には、もう、12年になってしまった。(へたくそな英語で12年もすんでるなんて、はずかしくって、穴に一生はいっていたいくらいだけど)

こんなにつらつらと、父の人生までブログにかいて、何を書こうと思ったかというと、そう、、親がとしとってきたんだよねーー。。ってこと、、

最近、電話で母とはなすとこが、困難になってきた。
母の耳がとおくなってきたからだ。

わたしと母は、仲良しだ。まえは、1時間でも、2時間でもはなせたし、むかしから、何でも話せる。

また、家族話になるが、わたしの母は、昔から、わたしの自慢だった。

顔は、「おかめちゃんなのよねーーわたし」といっているくらい、たれ目で、よく見ると美人でもないのだけど、むかしから、「のんちゃんのままって、わかくって、かわいいよねー」といわれていた。わたしの友達から、電話がくれば、わたしと関係なく長々と話をしていたし、おおげさで、心配症で、わたしがいうのもなんだけど、いい性格だ。

わたしが、人とはなしていて、「やっだーー」といって、右側に座っている人を、たたく癖は、母からゆずりうけたものだ。小さいころ母がお友達とはなしをしていて、それをやって、「。さんの、右隣には座っちゃだめよ」と、からかわれていたのを、よくみていて、「自分はするまい」とおもっていたけど、最近自分もおなじこといわれるんだよねーー日本人友だちだけじゃなくて、英国人にも。。遺伝か。。(笑)

またまた、どうでもいい思い出話になってきたけど、いいたかったのは、「海外に住むんだなあ」っておもっていたときに、年老いた、(ごめん父と母よ)両親をかんがえていなかったんだよね。

両親はいつまでも、元気、、っていうかさ。

両親が寝たきりにでもなったら、わたしが介護したいともおもうんだけど、うちの両親は、「誰にも迷惑かけたくないから、老人ホームにいく」っていっているしね。

親孝行させてもらいたいのだけど、わたしの都合で、なれない、土地にきてもらって、言葉もはなせず、自分のコントロールの聞かないところに年をとってから、すみたくないなとおもうなら、、両親の好きにしてもらうのも、親孝行なのかな。。って、こうしてかいていて、おもってしまった。

このように書くときっと、「なにをいっているの、、いまどきコンピューターがあるから、顔みてはなせるし、孫の顔もみせてあげれるじゃない」と、皆さんおもうでしょう。。。。


ところが!!じゃじゃーーーん!!父ったら、、、、世界の技術の最先端を研究していたくせに(おおげさか。。)コンピューター。。電子系きらいなんです。。。。。。

むかしからそうだったのですわ。

ビデオがちょっと、普及してきたころ、「ビデオはかわなくってもいい!!いまに、DVDがくるから、ビデオマシーンは使わなくなる」って、、、

そして、わたしが、確か、小学校のころ、「これからは、コンピューターがつかえなかったら、就職もできない」といって、 パソコンをかってきたんだけど、、、、たぶん、はやすぎたんだな。。
あまりつかっていなかったよ(爆

何から何まで、その調子で、一般家庭に何かが、普及したときには、「つぎはなになにだ。。」と、結局かわずしまい。。(爆)

お、そんな父も、ウォシュレットだけは、つかってるな。。

そんなことはどうでもいいけど、コンピューターを使いたくない理由は、どうやら、コンピューターによって、各自の個人情報がもれるからっていうことらしいけど、なんだか、頭が先を読みすぎて、(たぶん)とにかくいやなのだそうだ。

わたしがこうして、父の人生についてブログにかいているのしったら、どうおもうか???おそろしや。。ぶははははh-

うちのだんなは、「お父さんがコンピューターつかってくれれば、いろいろな写真おくれるのに」というのだけどねえーー

本当だよね。。


わたしが日本に、凱旋帰国(笑)できるまで、元気でいてほしいとおもうこのごろです。。。
by lazytown | 2010-10-20 01:39 | ひとりごと

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